本格的なお茶室に行ってまず驚くのが「にじり口」ではないでしょうか?
「にじる」って?
そもそも「にじる」とは、正座をしたまま手をぐーにして親指で畳を押しながら体を前に進める日本らしい動
きですが、現代の日常生活ではほとんど見られることはない動きです。
にじり口の大きさは二尺二寸四方(約66cm)の入り口で、初めて見たときは「ここから入るんですか??」と聞きなおしたくらいです。(笑)
入るときには膝を曲げて頭を入れ、正座をする形でにじりながら入ります。
にじり口は千利休が考案したもので、にじり口を入ったその先に、掛け軸やお花が飾られた美しい床の間、そしてお湯が煮える釡の音などの印象が鮮烈に五感に飛び込んできます。
また、千利休の考えでは「天下人でも一旦にじり口をくぐった後はすべて平等な人間になる」つまり、にじり口から入るものは武士も商人も誰もが身分差がなく、同じように頭を下げて入り茶室の中では皆平等に振舞われるということを表現しています。
信長はこれを聞き、「なかなか考えたな」と上機嫌になり、千利休はその反応にホッと肩を撫で下ろしたそうです。
実は千利休にとってもこれは大勝負で、権力者であった信長がにじり口から身を屈めて入らせたことに腹を立てれば「あの無礼者を処分せよ」と、罰を与えたに違いないが、にじり口から身を屈めて入り「にじ口から入った以上は、あなたも私と同じただの人間だ」と、千利休に言われても上機嫌にニコニコ笑っていて、さらにこれをきっかけに「茶の湯というのは面白い。俺も習おう。お前が師匠になれ」と告げられ、千利休は大きな生きがいが湧いてきたのを感じたといわれています。
身分が厳しい時代に信念を貫いた千利休の姿と、権力者でありながらそれを良しとした信長の懐の深さは学ぶべきことが多いですね。
一方、天下人として名を馳せた秀吉は、信長についていた頃はにじり口から入り、茶を楽しんでいたそうですが、自分が明智光秀を倒し、天地人になった途端「今後、俺はにじり口からは入らぬ」と言ったそうです。ずっと苦労して、長年夢見た天下人になったので、茶をするごとににじり口から入り、その度に一般市民になり下がるのが許せなかったのでしょうか。
ちなみに、実際ににじり口から入るには、武士は大切な刀を取らなければならないため(引っかかって入れないので)、刀掛けという刀を横にして預けておく道具があります。「茶室に入るのに武器はいらない」と言うことですね。
皆様も是非茶室に行かれたさいはにじり口の大きさを見てみてください。「ここから入るんですか?」と、きっと私と同じように驚くに違いありません。