茶道の本などを見ていると、堅苦しい言い回しが多く、「私には縁のない世界かも・・・」
そんな風に思って諦めてしまう方も多いのではないかと思います。
が、私はお話した通り小学校時代から茶の湯を習いだしたので、茶道の本などは高校になってから初めて手にし、いまだに読みきったことがありません笑。難しいですからね。(汗)
なので、千利休のことも実はそんなに知らずに茶の湯を習っていましたが、あるとき千利休に関する逸話に出会い、茶の湯の文化にさらに興味を持ちました。そのきっかけになったお話をしたいと思います。この話をご存知の方も多いかもしれませんが、、、
千利休にまつわる逸話
千利休は、秀吉の怒りを買い(原因は諸説ありますが)、結果として切腹を命じられることになります。
千利休は、自身への切腹を命じに来た秀吉の使者たちに対し、「茶室にて茶の支度ができております」と静かに口を開いた。その中には千利休の茶の湯の弟子もおり、彼らにとっても「利休の首を持って帰ってこい」という秀吉からの命令はとても心の痛い出来事だったに違いなく、そんな彼らを気遣っての配慮である。
自分の死を告げられたにも関わらず、使者への気遣いを見せた千利休の素晴らしい人物像に感銘を受けたことを覚えています。
そして、千利休は使者に対して最後のお茶を点てた後、一息ついて切腹をしたと言われています。
そのほかにも、
庭の落ち葉を掃除していた千利休が綺麗にはき終えた庭にパラパラと葉っぱをまいた。その姿を見ていた弟子が、「せっかくはいたのになぜですか?」と尋ねると「秋の庭には少しくらい葉っぱが落ちている方が自然でいい」と答え、唸らせた。
という話や、
「朝顔が美しいので茶会に来ませんか」と千利休から使いをもらった秀吉が、「満開の朝顔の庭を眺めて茶を飲むのはさぞかし素晴らしいだろう」と思い、出かけると、庭の朝顔は全て切り落とされていた。がっかりとした秀吉が茶室に入ると、一本の光の筋が差し込むその先に一輪だけ朝顔が生けてあり、千利休が「一輪であるが故のこの美しさ。庭のものは全て摘んでおきました。」と。秀吉は朝顔の美しさに驚き、千利休の美学に脱帽したという。
などの逸話が残されています。
千利休の人を感動させる力は知れば知るほど興味がわきますし、茶道を通じて千利休の心遣いを感じることができます。
きっと千利休の教えが好きで茶の湯の道へ足を踏み入れる人も多いのではないでしょうか?